鳥人伝説~武士を継ぐ者~

騙り 森本レオ


薄暗い室内で男が椅子に腰掛けている。男の名は長尾修平。東京ドームの地下にある部屋で長尾は静かに時を待っていた。


インドが天竺と呼ばれていたころ。一人の僧侶がありがたいお経と三つの秘術を故国に持ちかえった。地を駆ける術、水中を自在に泳ぐ術、そして空を自由に飛ぶ術。それらは猪八戒沙悟浄孫悟空と擬人化され西遊記というお話になるのだけれど、それはまた別のお話。


中国に伝わった空を飛ぶ術は、最初、インドでそうであったように徳をつんだ偉いお坊さんのみがなしうる奇跡だった。ここ中国では当然のように体術と組み合わされた。そんなわけで凄腕の武侠は今日も空を飛ぶ。凄腕でない武侠は飛べないのだけれど、飛べない武侠は己の身体を縄で縛って力自慢の弟子に振り回させた。これがワイヤーアクションの始まり。


時代をちょっと戻す。中国は唐の時代、えらいお坊さんが自由に空を飛んでいるのを見て、大空に憧れた男がいる。男は大変な修行をして術を修め国に帰った。行きは海路、帰りは空を飛んで帰ったので、空海と名乗るようになった。空海が持ち帰った空を飛ぶ術は禅を経由して侍に伝わった。サムライ・ミーツ・スカイ。


長尾は稽古が嫌いではなかった。稽古が見せられないのだった。親方に初めて技を伝授されたときには体が震えた。以来稽古を欠かしたことは無い。しかし見せることはできないのでよく怪我で休んだということにした。親方はあいつは稽古が嫌いで、と庇ってくれた。長尾は現役時代を思い返し、ふとある兄弟の事を考えた。飛べる兄と飛べない弟のこと。今は不仲だけれどそうなった遠因である親方の扱いの差は飛べる兄だけが知っていた。


国松は今日も空を飛んでいた。今では飛ばなくてもいいのだけれど、空を飛ぶのが好きなのだった。兄の竹千代は飛べなかった。江戸時代も初期のころの彼等には飛ぶことに意義があった。だから家督は国松が継ぐのが筋と思う人は多かった。祖父は飛ぶ必要の無い時代にすべきだと考えていたので竹千代が継ぐことになった。国松にとって家督などどうでも良かった。彼には空があったから。彼は何でも一通りこなせたけれど、飛ぶことに換えられるものは無かった。彼は気が向くと、とても高く飛んでそこから落下した。腕を広げ大気にぶちあたる感触を楽しんだ。断熱圧縮でプラズマ化したオレンジ色の大気も、武士である彼なら心頭を滅却すれば肉眼で見ることができた。飛ぶことが全てで、飛べれば何も要らなかったが、飛びたかった兄の嫉妬により若くして命を絶たれた。彼の死は嘘の悪評で塗りこめられた。


殿中でのスタイルが、戦国時代の空挺部隊の兵装であったことは大奥だけが知っている。


対戦相手の事を長尾は考えた。同じ空を飛ぶ術を持つ男の事を。


チベットにいまだ残っていた空を生身で飛ぶ方法はアーネンエルベによって蒐集された。しかし実戦に投入されるには遅かった。空では機械で殺しあったのだった。メンゲレはブラジルの空を飛んだはずだが、アマゾンにシュバルツバルトを見出しただろうか。南米の子供達に空を飛ぶことを教えたのが誰だったのかはわかっていない。


ミルマスカラスはもちろん空を飛べた。ルチャドールはみんな空を飛んだ。空を飛ぶルチャドールをビリーバーはUFOと呼んだ。


長尾修平-今は舞の海修平-は立ち上がる。リングで佐山聡が待っている。東京ドーム地下での無観客試合。そこでは禁じられていた全ての技をだし尽くす約束になっている。長尾はふと思いついて鏡の前で顔に隈取を施してみた。思ったより似合うのでにやりと笑う。今日はまず頭突きをぶちかまそう。

 

2006-06-19ファ文)